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歓喜寺 (秋田市) : ウィキペディア日本語版
歓喜寺 (秋田市)[かんきじ]

歓喜寺(かんきじ)は、秋田県秋田市にある曹洞宗の寺院である。
== 概要 ==
もとは密教寺院として飯島村(現秋田市飯島地区)に創建されたという。日吉神社を守護神とするが、山王社とも呼ばれたこの神社は、1322年元亨2年)、笹岡村に創建され、1395年応永2年)には上新城五十丁に遷り、日吉山延命寺や十禅寺と呼ばれ、別当を沙弥安奈(安東氏)とした。その後、密教寺の建つ飯島に遷ったといわれ、飯島鼡田の旧跡から懸仏二体が出土していることから、密教寺はその別当寺院だった可能性もある。その後、1541年天文10年)、安東氏の重臣・八柳氏(八柳館主、深翁歓喜大禅定門、俗名平治郎)が開基となり、補陀寺八世察心寿鑑を開山に勧請して、外旭川の八柳に正規に創建され、曹洞寺院に改宗されたのだろう。
のち守護神の日吉神社も寺内に移転し、さらに江戸時代になって1622年元和8年)、佐竹氏の城下の寺町づくりで以前の所在地であった秋田市寺町(現在の旭北寺町)に移転した。開山以来、法嗣が晋住する師資相承をなし、大本山総持寺の輪番地をなしてきた。そして、三世生庵祖長は天王の自性院、五世報庵良恩は河辺の千手院、六世空山祖広は船越の龍門寺、十三世月潭碧水は牛島の宝袋院をそれぞれ開山した。本堂は1886年明治19年)の俵屋火事で消失し、翌1887年の再建であった。
寺宝に聖観世音菩薩像(像高30センチメートル)は定朝作の興福寺千体仏の一つと言われ、県指定の文化財である。ほかにも西方広目天像、三面大黒天像、不動明王像などがあり、境内には珍しい生け花塚がある。
以前の所在地は、両隣に光明寺妙覚寺の曹洞宗寺院が存在し、これに旭北栄町(通り沿いの旧町内名は寺町一区とされている)の麟勝院を加えた4寺院によって、曹洞宗寺町4寺院を構成しており、寺族会や4寺院共同の事業を行うなどの相互交流が行われていたが、移転した現在でもこの関係は維持されている。
現在の本堂は、2008年の建之。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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